• 埼玉百景

埼玉百景

▲皇女和宮が将軍徳川家茂に降嫁するため、江戸に到着する直前に休息で利用したといわれています

今も昔も多くの人で賑わう宿場町

 中仙道六十九次のうち日本橋から数えて2番目の宿場にあたるのが蕨宿。江戸に入る「戸田の渡し」の手前にあり、川が増水すると街道の通行が禁止される川留めとなっていたため、蕨宿は大きな宿場町として栄え、浦和宿や大宮宿以上の規模であったとされています。
 現在も街道沿いには旧家や蔵など、当時の面影を残す町並みが残っており、本陣跡に隣接する歴史民俗資料館には、江戸時代から昭和にかけての町並みや生活の様子が展示されています。
 また、毎年11月には「中仙道武州蕨宿宿場まつり」が開催され、「見るまつりから参加するまつりへ」をコンセプトに、宿場パレードや双子織のファッションショーなど市民の方が参加できるイベントが開催され、多くの人で賑わっています。

幻の織物を現代へと復元―蕨双子織https://futako.saitama.jp/

蕨双子織
▲双子織の鮮やかな縞模様は、江戸時代に市場を圧倒するほどの人気でした

 2本の洋糸を絡ませて作られ、太陽にかざしても透けないほどの超高密度の織物である「双子織」。「はた神様」として祀られている蕨の機織の先覚者・高橋新五郎が、7月7日の夢のお告げにより織り始めた「青縞」がその始まりと言われています。昭和に入り、機械化による手織りの衰退により、幻の織物となっていた「双子織」ですが、伝統を後世に伝えたいという想いから、明治のころの織物見本を元に復元されました。現在では財布や名刺入れ、バッグとして販売されています。
 また、蕨商工会議所により「双子織のれんプロジェクト」が立ち上げられ、蕨市内のお店や公共施設など64ヶ所に、双子織のれんが飾られ、江戸時代の宿場町としての雰囲気を今に伝えています。